岩手日報 震災特集「あなたをさがして」に掲載。
本日は、9月9日。「救急の日」ですね。
今朝の朝刊に、「臨床宗教師」として掲載されました。
皆様と共に、今、出来ることを・・・。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2020/9/9/84621
傾聴通じて心癒やす
北上市村崎野の県立中部病院緩和ケア病棟。毎月2度の喫茶ボランティアに、一関市藤沢町の長徳寺住職、渋谷真之(まさゆき)さん(44)の笑顔があった。東日本大震災をきっかけに創設された臨床宗教師の本県唯一の認定者として、がん患者や家族の心のつらさを和らげる。
「本当に苦しんでいる人はお寺じゃなく、現場にいるんです。計算しても答えのない問題を一緒に考えていきたい」
仙台市の広告代理店に勤めていた渋谷さんが、藤沢町内の別の寺で住職を務める父を追って現職に就いたのは2007年。サラリーマン時代から「営業トーク」には自信があったが、理屈で割り切れない仏教の世界に戸惑いを感じる中で震災が起きた。直後に仲間の僧侶に誘われ、気仙沼市の避難所でお茶飲み会に参加したが、気丈に振る舞う被災者の姿が逆につらかった。「その裏にある深い悲しみを支えてあげたい。自分にできることは何なのか」。被災地に通うたび自問自答していた11年11月、急性心筋炎で病院に運ばれた。
医師から「心臓がいつ止まるか分からない」と告げられ、初めて死を覚悟した。1カ月の入院で回復したが、「生かされた命を誰かのために使いたい」と思いが募った。たどり着いたのが、誕生したばかりの臨床宗教師だった。
「答え」を示さず
東北の仲間と定期的に宮城県石巻市で傾聴喫茶「カフェ・デ・モンク」を開いたり、電話相談を行ったり。被災者らの悩みを聞くことが大きな活動だ。
「毎日がつらくて、つらくて仕方ない…」。震災から9年が過ぎた今も、あの日で時間が止まったような被災者がいる。
仏教の話はせず、「答え」も示さない。「おつらいでしょう」「それはどうしてですか?」。傾聴に徹し「その人の言葉、表情、空気を感じながら、心の中にある宝物やヒントを一緒に見つけていくようなもの」と言う。かつては頭で考え、相手の望む答えを出すことばかり考えていた自分が、臨床宗教師の研修を受け、悩みを抱える人たちと接するうちに「心で感じたことを言葉にできるように、変わっていった」。
緩和ケア病棟での喫茶ボランティアでは、がんを患った人らから「お坊さんと話がしたい」と依頼があれば、ベッドの横でゆっくり話を聞く。
「俺、死んだらどうなるんですか?」。ある患者から、こんな質問を受けたことがあった。そんな時も極楽浄土の話はしない。「死後どうなると思いますか?」「会いたい方はいらっしゃいますか?」。こんな話をしながら、その人の心を癒やしていく。目指すのは「宗教の枠にとらわれないケア」だ。
欧米のホスピスには、霊的な要素も含め、患者の魂をケアするスピリチュアルケアを行う宗教者が常駐している。
同病院の星野彰副院長は「命と向き合わざるを得ない患者さんの根源的な心のつらさは、医師や看護師、薬ではケアしきれない。話を聞いてくれる存在が最も重要で、その背景に宗教があるという安心感は非常に大きい」と頼りにする。
陰で支える黒子
お茶と病院の畑で取れたスイカを届けながら、患者や家族と会話を弾ませる渋谷さん。ただ、いつも「ケア」の依頼があるわけではなく、この日も臨床宗教師としての傾聴を行う場面はなかった。
それでも「取れたてのスイカを見て笑顔になってくれただけで十分」と笑う。「宗教者がそばにいると思うだけで安心してくれる。自分は陰で支える黒子ですから」
人々の心のよりどころとしての宗教、そして宗教者の存在。臨床宗教師は、そのあるべき姿を取り戻す挑戦でもある。
<岩手日報記事掲載文引用>