キリシタン所縁のお寺
江戸時代のはじめ、旧仙台藩領(大籠・米川・馬籠)では、幕府の弾圧により多数のキリシタンが殉教されました。そのような中、長徳寺は禁教時代に潜伏キリシタンと承知していながら檀家として受け入れ擁護してまいりました。
先人たちの崇高な殉教の歴史を子々孫々に伝承すると共に、宗教を超えた世界平和を祈念し、嘉永2年に15代智頓上人が大籠青松に慰霊碑を建立されてから、約170年の時を経て長徳寺境内に「切支丹殉教者慰霊碑」を建立する運びとなりました。
切支丹宗門改帳と長徳寺
宗門改(しゅうもんあらため)とは、江戸時代に禁教令の発布に伴いキリシタンの摘発を目的として江戸幕府によって行われた宗教政策および民衆統制政策です。寛文11年(1671年)以降、武士・町民・農民などの階級に問わず民衆は全て原則として、特定の仏教寺院(不受不施派を除く檀那寺・藩によっては神社もあった)に属することが義務とされ、その情報は全て寺院に把握されました。
切支丹宗門改帳は、檀那寺がキリシタン信徒を檀家として記載することで「キリシタンでない」ことを証明するものです。
「保呂羽切支丹宗門改帳」「宮城県東和町米川切支丹宗門改帳」「磐井郡東山大籠村切支丹宗門人数改帳」には、長徳寺がキリシタン信徒を檀家として受け入れ擁護していたことを後世に伝える貴重な資料です。
15代智頓上人が建立されたキリシタン慰霊碑
長徳寺と大籠キリシタン殉教公園
一関市藤沢町大籠、全国屈指のキリシタン殉教の地であり「東北の島原」とも言われています。その様な歴史的な背景のある地である「大籠青松」に15代智頓上人が嘉永2年に【キリシタン慰霊碑】を建立されました。そのレプリカが大籠キリシタン殉教公園に建立されています。
大籠青松と大籠キリシタン殉教公園の南無阿弥陀仏慰霊碑
長徳寺からローマ教皇への手紙
仙台のガクタン司教様は、2023年の9月にローマへ行きローマ教皇と謁見した際に、私の手紙(長徳寺→ローマ教皇宛の手紙)をスペイン語訳を添えてお渡しして頂きました。3月の蘇民祭に於いて、ガクタン司教様よりローマ教皇謁見時の素敵な額を頂きました。