【台湾の臨床仏教(上)】産経新聞に掲載されました。
「最難関の大学病院が緩和ケアの専門僧侶養成」
台湾大付属病院の緩和ケア病棟で、膵臓がんの男性患者に語りかける大下大圓さん(左)。常駐する尼僧と主治医の黄威勝さん(右)らが見守った。日台では、医師や看護師に代わって患者の苦悩を和らげる聖職者のケアに、仏教精神を導入しようと模索している=2018年1月、台北市(小野木康雄撮影)
死を目前にした終末期のがん患者らを精神的に支えようと、医療現場に僧侶が入る「仏教緩和ケア」が日本と台湾で注目されている。医師や看護師に代わって聖職者が患者の苦悩を和らげるケアはキリスト教に由来するホスピスで行われてきたが、日台では、自国民になじみの深い仏教精神の導入を模索。台湾はその先進地域とされ、日本の医療・宗教関係者が視察や研修に訪れているという。その視察に同行し、意義や今後の取り組みの行方を探った。(小野木康雄)
僧侶が常駐する病棟
「ありがとう。うれしいよ」。ベッドに身を横たえた台湾人の男性(86)は日本から来た僧侶の手を握り返すと、戦時中に学んだというよどみない日本語で礼を言った。
今年1月、台北市中心部にある台湾大付属病院6階の緩和ケア病棟。男性は膵臓(すいぞう)がんで余命わずかと診断されていて起き上がれなかったが、日本統治下で過ごした少年時代を懐かしんだのか、軍艦マーチや桃太郎の歌を口ずさんだ。
主治医の黄威勝(おう・いしょう)さん(31)は「本当に良かった」と話し、隣の女性2人とうなずき合った。普段から男性に寄り添う病棟スタッフの尼僧たちだ。
台湾大は、日本の東京大に当たる公立の最難関大学。最先端の医療を提供するその付属病院が、病棟に僧侶を常駐させて「仏教緩和ケア」に取り組んでいる。死を目前にした終末期のがん患者らを精神的に支えることが目的だ。
仏教に理解のある医師
男性患者と面会した日本人僧侶は、高野山真言宗の大下大圓(だいえん)さん(64)=岐阜県高山市。日本の医療現場などで働く宗教者の専門職「臨床宗教師」を、日本臨床宗教師会の副会長として養成している。
「台湾から学ぶべきことは多い」と視察研修を企画し、医療・宗教関係者ら10人を引率して台大病院を訪問。黄さんの依頼で男性のケアに当たった。
世界保健機関(WHO)は、緩和ケアが対処すべき苦痛のひとつに「スピリチュアルな問題」を挙げる。人生や死にまつわる根源的な苦痛のことだ。欧米では、キリスト教精神に基づくホスピス付きの聖職者が和らげる役割を担ってきた。
日本と台湾は、そこに仏教精神を取り入れようと試みている。日本は宗教を問わない臨床宗教師。台湾は僧侶に特化した「臨床仏教宗教師」。手法は異なるが、目的はほぼ同じだ。
台大病院は臨床仏教宗教師を養成する主体にもなってきた。このため、医師には仏教への理解がある。陳慶餘(ちん・けいよ)名誉教授は、大下さんらにこう説明した。
「患者が安心して最期を迎えるには『仏性(ぶっしょう)』を養うことが必要。僧侶にはそれを引き出す役割がある」
「人は終末期にこそ成長する」
仏性とは、仏になれる素質という意味だ。
大乗仏教は「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と説き、生きとし生けるものはすべて仏になる可能性があると教えている。がん患者にとっては、死への恐怖を克服して人生を締めくくり、極楽浄土という死後の世界に希望を見いだすことへとつながる。
同じく医師の蔡兆勲(さい・ちょうくん)主任はこう語った。「人は終末期のときにこそ、人生の意義や価値、目的を見つけ、精神的に成長できる。仏教緩和ケアは、患者を成長させるケアだ」
台湾内政部(内務省に相当)によれば、人口に占める65歳以上の高齢者の割合(高齢化率)が3月に14%を超えたことで、台湾はWHOの定義に基づく「高齢社会」となった。
一方、日本は13年前の05年に高齢化率21%超の「超高齢社会」に突入。7月には28%に達している。
団塊の世代が寿命を迎えることに伴う「多死社会」は到来目前。「仏教緩和ケアの導入は、台湾よりも喫緊の課題」と、大下さんは考えている。
産経新聞より抜粋2018.8.20