【国宝『一遍聖絵』(複写)本堂内に掲示】
<岩手日日新聞掲載文引用>
一関市藤沢町保呂羽の長徳寺(渋谷真之住職)に檀家(だんか)の男性が時宗の開祖一遍上人の足跡を描いた国宝の絵巻「一遍聖絵(ひじりえ)」の一場面「聖塚(河野通信(みちのぶ)墳墓)」の複写絵を寄進した。河野通信は一遍上人の祖父に当たり、壇ノ浦の戦いで源氏の勝利に貢献し、頼朝の妻政子の妹を妻にしたという人物。現在の北上市に墓(聖塚)があり、複写絵の場面には一遍上人が聖塚で手を合わせる姿が描かれている。同寺は時宗の歴史や藤沢の名の由来にも関わる絵の寄進に感謝している。聖塚の複写絵は神奈川県藤沢市の時宗総本山清浄光寺(遊行寺)の協力を得て長徳寺檀家の男性が秋彼岸に合わせて寄進、同寺本堂に掲げられた。原本を拡大した絵は縦約1・2メートル、横約2・2メートルで、ヒノキ製の額を含めると縦約2・5メートル、横約3メートル。全12巻の一遍聖絵を基に一遍上人の足跡を説明するパネルなども飾った。河野通信は頼朝が奥州藤原氏を攻め滅ぼした際、頼朝に仕えたが、承久の乱で敗れたことから岩手に流れ、北上の地で余生を送ったという。一遍上人は自らの教えを広める旅の途中、祖父の墓がある北上の地を訪れたとされる。渋谷住職によると、神奈川の藤沢からは歴代の上人も岩手に足を運ぶようになり、同町をはじめ北上市や花巻市にも藤沢の地名が生まれたという。
26日は寄進者や施工者が出席し長徳寺で複写絵の「奉告法要」が営まれ、出席者が絵に向かって手を合わせ、渋谷住職が寄進者の男性に感謝状を授与した。複写絵を寄進した男性は「地域の皆さんに絵を見てもらいお寺と地域のつながりがさらに近いものになればありがたい」と願う。渋谷住職は「寄進者や関係者のおかげで素晴らしい絵ができて驚いた」と感謝。「岩手に河野通信の墓があってもその孫が一遍上人だと知らない人は多い。室町時代に本山の上人がこの地を訪れたことが藤沢の名にも関わっており、時宗と岩手や藤沢とのつながりを知ってもらうきっかけになれば」と期待していた。