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「南無阿弥陀仏、アーメン」寺が“隠れキリシタン”を追悼?伊達政宗との意外な関係とは

東北放送記事抜粋 (笠原記者)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tbc/170916?display=1

江戸時代、仙台藩に迫害を受け、処刑された“隠れキリシタン”がいたことをご存知でしょうか?
その殉教したキリシタンを追悼する慰霊祭がことし9月、岩手県の寺で行われました。
なぜ寺がキリシタンを追悼するのか?
歴史をひもとくと“隠れキリシタン”と仙台藩主・伊達政宗との切っても切れない関係が分かってきました。

■“隠れキリシタン”慰霊祭で「お経と聖書」の言葉が響く
仙台藩だった岩手県一関市藤沢町の長徳寺。9月、初めてとなる仏教とキリスト教との合同慰霊祭が行われました。

寺の境内に建立されたのは十字架が象られた慰霊碑。参列した檀家や神父、牧師が、江戸時代に迫害を受けた“隠れ(=潜伏)キリシタン”の霊を慰めました。
式ではお経と聖書の言葉が響きました。

僧侶:「南無阿弥陀仏」
牧師:「私達の罪をおゆるしください。アーメン」

長徳寺・渋谷真之住職:
「不思議な感じがするが、それくらい信仰の併存、あらゆる拠り所が詰まった場所」

石巻栄光教会・川上直哉牧師:
「人間の尊厳は壊れていく。誰かが弔ってくれるから人間でいられる。ありがたい」

事の始まりは16世紀、キリスト教の伝来以降、勢力を広げる外国人宣教師に危機感を抱いた豊臣秀吉、そして徳川家康はその布教や信仰を禁じます。
■処刑された“隠れ(潜伏)キリシタン”とは?
仙台藩の宮城・岩手の県境には全国から信徒らが逃れてきました。
この地に残されてきた「十字架が埋め込まれた本」があります。当時の雑誌の中に十字架が潜んでいる、厨子本です。キリシタンであることを隠していたことがうかがええます。


しかし、やがて迫害の手が及び、改宗に応じない信徒300人が処刑、宣教師は仙台の広瀬川に連行され処刑されました。

では、なぜ寺がキリシタンの霊を慰めるのか?
■寺とキリシタン共存の歴史「伊達の国を挙げて偽装」
それをひもとく古文書が宮城県登米市の教会で見つかりました。

宗門改帳。キリシタンの取締りを目的に幕府が全国の大名に指示した信仰に関する調査書です。
これに記された人は、長徳寺の檀家であり、キリシタンではないことを証明するものです。


カトリック米川教会・鈴木星史信徒代表:
「キリシタン辞めました。名前があるとキリシタンではないですよ」

ところが長徳寺では、処刑された300人のほかにも、潜伏していたキリシタンを檀家に組み込み、かくまっていたことが分かってきたのです。
しかも、その末裔も檀家として弔い続けていました

長徳寺・渋谷真之住職:「分かっているんだけど仏教徒にする。信仰はお任せします。命が助かる非常に重い書物」

隠れキリシタンの歴史に詳しい宮城県石巻市の川上直哉牧師は“地域ぐるみで黙認”していたと指摘します。

石巻栄光教会・川上直哉牧師:
「伊達の国を挙げて偽装している。書類上キリシタンを処分しました、転宗しましたと。その代わりに地域の経済、生業が回る」
長徳寺・渋谷真之住職:
「信仰の並存。日本人だからできたこと、日本人の良さが出ている」

檀家:
「地域柄、困っている人を助けてきた」
「ロマンある話、今となっては悲しいとかではなく、今に伝わって来ていると捉えたい」

慰霊祭に参列した石巻市にある「サン・ファン館」の平川新館長は、幕府の方針に反してキリシタンを容認する伊達政宗の外交の独自性がより際立つとして注目しています。
■キリシタンを容認、伊達政宗の「腹の据わり方はすごい」
サン・ファン館・平川新館長:
「伊達領は日本の中で一番最後までキリシタンが許されていた。貿易をやるにはキリスト教徒を弾圧していると船は来てくれない」

政宗には当初、外国人宣教師に布教を許す引き換えに伊達領内に国際貿易港を作る野心があったといいます。そのためサン・ファン・バウティスタ号を建造。日本初のヨーロッパへの通商外交団=慶長遣欧使節団として家臣の支倉常長らを派遣します。

サン・ファン館・平川新館長:
「現代用語で言えば『布教特区』このアイデアは政宗が家康に提案した。我が領だけはキリスト教の布教を認めろと家康に駆けあった政宗の腹の据わり方はすごい」

しかし、7年にわたる旅の末、使節団の交渉は実りませんでした。
■仙台藩“隠れキリシタン”「聖地巡礼ツアー」で歴史を海外に発信
政宗は、もはやキリシタンを黙認することが出来ず、幕府の指示に従わざるを得なくなりました。
一方でサン・ファン号で得られた造船技術や航海術は、仙台米を江戸に運ぶ廻米航路に生かされ仙台藩の繁栄の礎になったのです。

サン・ファン館・平川新館長:
「すぐ政策転換して国内経済、国内流通にシフトしていったと理解すると政宗の国造りがいかに大胆かつ柔軟だったかが分かる」

石巻栄光教会・川上直哉牧師:
「サン・ファン号の後にここも迫害が始まった。すべてのキリシタンの話がサン・ファン号と繋がる」

仙台藩独自の歴史を伝えてきたサン・ファン号。その復元船は老朽化を理由に解体され今後、ミニチュアの模型が製作される計画です。
関係者の間では、隠れキリシタンとサン・ファン号の歴史を世界に発信する機運が高まっています。

サン・ファン館・平川新館長:
「聖地巡礼の形で海外のキリスト教関係者が足を運ぶ、隠れキリシタンとサンファン号を回遊するツアーを開発する必要がある」

長徳寺・渋谷真之住職:
「まだまだわからないことがたくさんある。新たに分かることがある可能性がある。楽しみながら歴史を伝承したい」

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